追悼【上方歌舞伎絵師・穂束とよ國先生】

博多座の歌舞伎公演の際には毎公演、美しい絵看板で観客の目を楽しませてくれた上方歌舞伎絵師・穂束とよ國先生がご逝去されて1ヶ月が経ちました(7月8日午後9時33分、肺がんのため神戸市にて死去、72歳)。 話を聞くと先月7月の松竹座は以前描かれたコピーだったとの事で、先々月の【六月博多座大歌舞伎】が劇場用の絵看板としては最後の作品だったのではないでしょうか?
今後、博多座はもちろん松竹座など西日本の劇場で先生の絵看板を拝見する事が出来ない事がまだ信じられないのですが、以前当サイトにて公開していた先生へのインタビュー記事(2002年2月取材〜掲載)を追悼文として以下、再掲載させていただきます。
※写真、文章はとよ國先生ご本人にチェックをいただき掲載の許可を得ております

なお文章中の【一枚絵看板】は博多座開業から数年間は描かれていたのですが、制作費の関係か?残念ながらいつの間にかフェイドアウト…。

歌舞伎絵師“穂束とよ國”先生にインタビュー

とよ國先生

博多座の柿落し公演以来、歌舞伎公演では毎回私達の目を楽しませてくれている【歌舞伎絵看板】。
とりわけ博多座独自のスタイルである、昼と夜の演目すべての登場人物がひしめきあう【一枚絵看板】は圧巻!
公演期間中は客席ロビーの螺旋階段正面には、その一枚絵をセンターに、昼と夜の演目の絵看板が展示され、幕間には足を止めて見入る人や記念撮影をする人を多くみかけ、皆、その品のある美しい絵に魅了されています♪
もちろん私もその一人で、あの絵の前を幕間に占領している 時間は、おそらく私が一番長いのでは…?

この歌舞伎絵を描かれている【歌舞伎絵師・穂束とよ國】先生については、筋書きのプロフィールの通り、殆どの劇場の歌舞伎公演のものを手がけられいますので、皆さんも今までにその魅力的な作品に触れる機会は多くあったと思います。

しかし…“先生ご本人”については、このプロフィール文でしか知る事がなく「一体、どんな方がこのような品のある素晴らしい絵を描いていらっしゃるのだろう?」と私の中で長~い事、疑問だったのです。

そして今回、思いきって先生とのコンタクトを試みて、 幸運にも博多座にてお会いする事ができましたので、その時に伺えた制作秘話?などの楽しいお話をご披露いたします。

なんだか随分昔に描いたようでなつかしいなぁ

博多座のロビーに展示してある、ご自分の絵を目にされた先生の第一声です。
博多座をはじめ、浅草公会堂、平成中村座、御園座、南座、松竹座、金丸座、八千代座…と、歌舞伎公演における殆どの看板を手掛けていらっしゃる先生の制作量 を聞いてビックリ!
「年間100枚、3日に1枚描いている計算になるんですよ。」
「描きあがったらすぐ忘れていかないと次の作品に気持ちが切り替えられないんです。」
との事。
なるほど、それで「なつかしい」との第一声だったんですね…。
古典演目に題材を扱う看板は“基本の型”があって、その型通りの構図や図柄かと思い込んでいた私には 、斬新な構図の先生の作品、特に【一枚絵看板】との出逢いは衝撃的で一気に魅せられたのです!

配役が決まってから描き始めます

とよ國先生先生の筆の進め方をお尋ねした時の先生の言葉です。
古典だと、すでにお話の内容が分っている訳ですから、演目が決まった段階ですぐに制作に取りかかるのかと思っていたので、驚きました!
配役って結構ギリギリまで発表されなかったり(それは一般市民にはでしょうけど)するので、それを待ってからのスタートでは、到底あの膨大な量 の作品をこなせないだろうなぁ…と思っていましたから。
そこで「配役が決まってからというと、その役者さんに似せて描く、という事ですか?」とお尋ねしたところ、「昔なら“役者絵”というのはブロマイドの役割がありましたが、現在は写真もあるし、皆さんすでに役者の顔はご存じなので、私はあえて似せて描くような事はしません」との事。 配役が決まってから…というのは「誰がその役をするかで、切り取りたい場面 や構図が決まるから」という事でした。

いろんな方向にアンテナを張っています

歌舞伎の登場人物の衣装やその模様、小道具などは殆どが決まっていますが、その役者さん独自の工夫をほどこしたりする事があるそうです。 ですから「配役をふまえた上で制作に取りかかりながらも、その公演で最新情報を折り込んでいるんです」。 古典を題材にしながらも、いわば“最新情報が描かれている” という訳で、その情報収集の為のアンテナをいろんな方向に張っていらっしゃるとの事でした。

博多座独自の様式は【歌舞伎絵曼荼羅】?!

【一枚絵看板】を見て「満員電車みたいでしょ?」 と、笑う先生。
この看板は公演期間中、博多座正面玄関に巨大な看板となって私達の目を楽しませてくれ、この看板が登場すると「歌舞伎公演の月がやってきた♪ 歌舞伎が観れる~♪」と私の気持ちは浮き立ちます!
この独自のスタイルに決まるまでは博多座側と何度も討議が繰り返されたそうです。 平成11年6月の柿茸大歌舞伎で「新しい劇場に掛ける看板なら新しい様式にチャレンジしたい」と考えていた所、御園座の【昼の演目】【夜の演目】をそれぞれ1枚に描いている様式を元に、博多座側から出てきた型破りなアイデア取り入れ、【昼と夜の演目すべての登場人物を1枚に描く】という現在のスタイルとなったそうです。 「歌舞伎を“ひとつの世界”としてとらえる…いわゆる“歌舞伎絵曼荼羅”とでも言いますか、そのような感じで描いているんですよ」
“ひとつの世界”とは…見る側には計り知れない制作者の意図が作品には込められているんですね!

劇場の個性を踏まえた歌舞伎絵を

先生が今現在(2002.2)制作にとりかかっていらっしゃるのは金丸座と御園座の四月公演。 各々の劇場によって看板のサイズも違えば飾られる場所も違い、そして当然の事ながらその劇場が持つ歴史や個性も違っている訳で、その事を踏まえながら各々の制作にとりかかっていらっしゃるそうです。
特に金丸座においては他の劇場とは“絵看板”のもつ意味や用途が違うとの事。 「昔ながらの江戸の芝居小屋の風情を残す金丸座においては“絵看板の使命”として『小屋と一体になる』という事が重要なんです」 それは演じる役者さんも同じで、小屋とお客さんと一体感を感じる事ができる醍醐味が金丸座にはある! その雰囲気を大事に制作されているとの事でした。
そして御園座の看板は30年以上も描き続けていらっしゃるそうで、中でもその公演の【辻番附】は御園座独自のもので、毎回大変な人気だそうです。 御園座に限らず、看板とは別 に“番附(筋書き・パンフレット)用”に描くことも多く、先述の驚くほどの制作量となる訳なんですね! すごい…。

… あとがき …
ただ「綺麗だな。素敵だな♪」とボ~ッとみとれていた穂束先生の歌舞伎絵看板。 次回どこかの劇場で先生の作品を目にする機会がある時は、皆さんもぜひ上記のお話を思い出しながら鑑賞してみてください♪ “歌舞伎絵師・穂束とよ國”の新しい事にチャレンジし続ける“熱い作家魂”が感じられ、違った感動や発見があるかもしれませんよ!(2002.2・博多座にて/取材・文:akko-3)

ご協力いただきました…穂束とよ國先生、甲風画苑さん、tatianaさん、tohmiさん、yokomoriさんに厚く厚く御礼申し上げます! 本当に有難うございました!